はじめまして!僕のブログへようこそ。。簡単になりますが是非僕のブログを読んでいただけたらと思います。
自己紹介と被る部分がございますが、何卒ご了承ください。暖かい心遣いに感謝です。^_^
さて、僕のブログのテーマは特に決まってませんが僕の不可解な人生観をブログを通してシェアできたらと思います。
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少年時代は昆虫と野球と山菜
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幼年期から小学生位までは野球をしてましたが、一番の趣味は昆虫採取でした。東京生まれた東京育ちの僕ですが、ノコギリクワガタやヒラタクワガを捕まえるのはかなりの腕です。
ちょっとした昆虫取りのテクニックなんかもブログに書けたらと思います。
それから山菜やキノコ狩りも東京でしてました。西武ドーム付近で山があるのでそこら辺で自然と愛を育んですくすく成長したのです。
キクラゲなんて実はそこらに生えてますね〜。東京の雑草を食すテーマの記事も書いて見たいですね〜。
自然と戯れてたばかりで小学生の頃から国語が苦手なのに何故かブログを書いている著者であります。大学受験も国語抜きで行きましたから笑。
読解力ないとなかなか偏差値あがりませんよ!社会人になってから相当苦労する羽目になった著者が明言します。国語は大事です。就活に響きます。
就活しながら塾の講師でアルバイトしてた時はちゃっかり国語を自分でも中学生の生徒と一緒に勉強してましたから。( ̄∇ ̄)
高校生の時に海外志向
高校の時に行ったニュージーランドを機に留学を決意し結局アメリカの大学へ行きました。最初はすごく差別されて辛い思いをしました。
何がなんでもアメリカ人の友達作ってやると思い、学校の人気者にまで成り上がります。盗まれる、騙される、なんてこと日常茶飯事でしたから。
英語が全く出来ないで唐突に留学した僕の甘さも良くないんですが、
日本では考えられないことが日常で起きたりと
ニュージーランドを選んだ理由は国の形が日本と似てたっていう薄っぺらな理由ですが、行った先のオークランドという町はとても感動的な場所でしたね。
大学受験は国内外両方受験しました。やはり国語を勉強しなかったのは今でも反省点でございます。
結局、親に頭下げてどうしても留学したくて渡米した著者です。どうしてもアメリカという人種が多く存在する国で学びたいと思ったのと高校のクラスメイト達と自分の価値観がなんとなく違う気がしたのとかそんな理由で留学したと思います。
集団生活の中で皆んなが同じことして楽しく過ごせるって人生の中で絶対武器になりますが、なんか僕にとっては自分を押し殺して生きてる感じが当時すごくありました。
皆に合わせることも大切であるが自分の価値観と合う人間と付き合うことも大切だと思いましたねー。大学の時に出会った親友は正にその通りなんです。
オンラインゲームにハマりだす学生時代
当時World of Warcraftというオンラインゲームがアメリカで流行ってまして、著者は非常に夢中になってしまったのです。
今でも親友である当時のルームメイトから勧められてそれが自分のドツボにはまりました。大学二年生の時は勉強そっち抜けでゲームしてましたね。トイレに行く時間も惜しんでゲーターレードの空ボトルを小便器として使ってしまい、色がレモネードぽかったため友人が間違って飲むところでした(;''∀'')
話は大学一年生の留学したての頃に戻りますが、当時家庭が経済的に苦しくて留学は厳しかったのです。
偶然に米国大学奨学金プログラムを売りにしている留学斡旋会社があったので申し込みをして見事に学費は半額で済んだのです。
更に日本の通信制大学で単位を取って学費をケチった著者であります。この
米国大学奨学金プログラムと併用して日本の通信制で単位を取るとどうなるかというと20歳で大学卒業できちゃうんですよね。飛び級の方法はリンクをクリックしてくださいね。
しかも日本の大学より安上がりになる訳で。でも著者は留学ライフを楽しみたかったので4年間滞在することになったのですが。
最初の大学はフロリダ州の小さな町の大学。湖がキャンパス内にあってビーチパーティーなんかよくしてましたね。
さて、入学早々人種差別にあったりこのご時世に未だにこんな問題があるのかと悲しくなりましたね。
当時のルームメイトは僕を含め3人で僕は二段ベッドの上で寝てました。最初は留学生でしかもカタコトの英語しか話さなかったので、いじめの的になっちゃいました。
兎に角、こいつらと絶対友達になってやると思い、逆に僕が英語を話せない留学生という短所を利用してアメリカ人を笑わせるなど工夫をしてましたね。
友達作りで究極のチャンスはあるイベントがキッカケでした。芸のお披露目会で、ある人は歌ったり、ある人はピアノを弾いたりしてました。
芸と芸の合間に音楽が流れてたので黒人達がステージで音楽に合わせてくだらない踊りをしていたなか、なぜかルームメイトが僕に向かって踊れ❗️っと言ってきたのでステージの上でブレイクダンスをすると!
スタンディングオベーションです。( ̄∇ ̄;)コレを機に友達が一気に増えました。差別の壁を乗り越えました。芸は身を助けるってまさにその通り。
最初は僕のことを敬遠していたルームメイトも話しかけるようになり、遊園地や野球スタジアムなどに連れて行ってもらいました。彼にyou are my friend と言われた時は嬉しいかったです友情は言葉の壁を越えますねー。
もう一人のルームメイトの方は盗みを働く子でした。ある日彼が誕生日だと言うので携帯をプレゼントしたのですが誕生日と言うのは真っ赤な嘘でした。
窃盗、マリファナ当たり前なアメリカの大学
ショックなのか怒りなのか、残念な気持ちでした。友達作りの為に色々と活動をしたのですが良いことだけじゃなかったのです。
友人を作るべく色んな活動をしました。そんな時一人の子が葉巻を勧めてきたので、ついつい吸ってしまったのです。実はマリファナと知った時は唖然としました。。
日本が如何に安全なのかアメリカという国で生活したことで痛感しました❗️
あまりの治安の悪さに恐怖を覚え、結局大学二年生の時にコロラド州の大学へ編入しました。アメリカの学生は編入が当たり前みたいですね〜。留学生もお金を節約するために最初は安いコミュニティーカレッジへ行き総合大学へと編入するパターンが多くみられます。
新しい大学で出会ったルームメイト名前はアンドリュー。今でも付き合いのある人生で掛け替えの無い友人でもあります。
彼の紹介で始めた当時大ブームだったオンラインゲームWorld of Warcraftを夢中で一日中12時間ぶっ通しでやってました。
さてアンドリューはゲームと遊びに夢中二年生なりオンラインゲームで知り合った女の子と付き合う為にカリフォルニア州まで引っ越ししてしまいました。
大学一年生で学んだ友達の作り方を活かし色んな人と出会うことができました。なので身に付いた英語はスラングばかりです。笑
大学で専攻したのビジネスです。今思えばコンピューターサイエンスにしとけば良かったかな⁉︎プログラマーになればノマドワーカーとして生きて行ける確率が他の専門職より高い気がします。それとアメリカで就職できたチャンスがほかの学部に比べて高いからです。
生活費を節約する為にアルバイトをしていました。キャンパス内で寮の管理人をしてました。寮の管理人は学生との交流が頻繁にあるため留学生にはお勧めなバイトです。
初めてのアメリカ人の彼女
大学生活終盤で僕もようやく春が来ました。とうとうアメリカ人の彼女ができました。彼女の放った日本語を未だに覚えています。
"猫美味しい"食うかボケ〜と突っ込みどころ満載でしたね。
彼女とのデートはNYCでした。あの高いエンパイアステートビルディングの屋上でハグをした思い出(*ノωノ)、思い返すだけで胸が熱くなりますねー!結局4か月後に振られてしまいます。彼女はアニメーターでプロになることを目指し僕を諦めたようです。彼女のFBを見ると見事にCartoon Networkという超大手のアニメーターへとなっていました。
塾講師という天職
大切な仲間たちを置いて日本へ帰国後は就職活動に悩まされました。就職氷河期真っ只中!実際に正社員に慣れるまで1年かかりました。それまでは塾の講師をしながら食いつないでいきました。なぜ塾の講師を始めたかというと自分の過去にあります。昔母親に進学塾に放り込まれ、小学生の時にお受験をし、さらに中学でも高校受験をし、最後の締めとして大学受験もしました。はい!勉強はできないけど経験は豊富です笑。
その経験を活かせると思い塾の講師をしました。自分が偏差値30から60へとUPした怒涛の学生時代の経験を活かし塾講師として従事してました。結論から言うと天職でした。子供に教えることの楽しさ、学業成績が思わしくない子供たちがやっとの思いで問題が解けた達成感。たまりませんね!!
しっかりと実績をも残せました。担当したクラスの子たち全員が5段階評価中5!!英語だけでしたが、これには一工夫したんですよね。必殺技ではないですが中学1年生の英語は講師の指導力で子供達の成績を大きく変えられます。初めが肝心で英語を好きになってくれれば例え英語の問題が難しくなってもある程度ついてきてくれます。
残念なことに就職が決まってしまい(本当に残念ではなないですが)生徒ともおさらばしなければならなくなりました。最初の仕事はテレオペ。夜勤ありでしたが自由な時間も多くてJAVAなんか勉強してましたね~。一日8時間拘束は正直辛くてしょうがなかったです。
一日8時間拘束は地獄絵だった過去
この時期正直悩んだんですよね。社会人って難しい。社会人は凄い。もちろん心の中に恐怖心も芽生えてしまいました。この辛い8時間拘束一生続けられる自信がない。
なんでみんなは働けるのか?仕事にやりがいがる人もいれば、家庭のために汗水流す人もいる。これって僕だけですが?8時間拘束がす~~~~ごく拷問のように感じたのは。後ででてきますが、どうやら僕の遺伝性の病気??が原因だったのでしょう。
オーストラリアのシドニー
さて、1年ちょっと働いてそそくさと仕事をやめてオーストラリアへ行きます。シドニーでホテルのフロントをしていました。あまりに物価が高いため昼も夜も働いてましたね^^ 目安としてTOEIC800~くらいでフロント業務はこなせます。クレームの対応はちょっと難しいですが。
シドニーのシャークバー??とかいうところによく日本人が集まってましたが、ほとんどの方が語学留学かワーホリでしたね。とにかくカクテルの値段の高さ17ドルなんて払ってられません(´;ω;`)。
ほとんどの方がアジア系のレストランで低賃金で働いてました。これって結局成り立っちゃてるんですよね~非合法な低賃金でもいいからオーストラリアを満喫したいという日本人と安く雇えるからラッキーて思う現地の店。
でもさ~マクドナルドの最低賃金当時16.57ドルですよ?それでも時給10ドルで働いてる日本人の方々がたくさんいました。
度重なる就職難とホストクラブ
理由があってオーストラリアを去ることになった僕ですが、またもや就職難でハローワークに通い政府から給付金をもらいながら行ける学校なんかを探してました。無職の方は絶対利用したほうがいい制度です。
ハローワークに行くとコース一覧表とかあってそこから行きたい学校に3か月お金を頂きながら通う。意外と知らない方多いので留意点です。そんな時新宿でプラプラしているとお兄さんから声かけられます。「ホストやらない??」はっ??一瞬迷いましたが何故か興味津々な著者はお兄さんについって行ってしまいました。
なんと日払いで頂けるという条件だったのでこれは!!!と思い著者は働くことを決意!まあ横浜国立大学の学生とか、東京大学の学生さんとかもホストしてたんでいろいろあるんだな~~と思いました。
店に入るや否やすぐさま髪の毛をセットしに近くのヘアメイク屋さんで髪の毛を整えさらに、眉毛をかき~~の、ファンデーションぬりーの、おめかし満タンで仕事をしていました。ホストのお客さんはとにかくお水系の方がほとんどです。
お水系の方とデートしたい若い学生さんには確実にお勧めできる仕事です!今までの何倍ものチャンスがあります。後余談ですがホストの歌[Loveドッきゅん]はカラオケ歌ネタとして一般の方でも覚えておいて損はないです。ホストでは休日にナンパをすることを勧められますかなり鍛えられますよ。得意分野は外人ナンパでおそらく200人くらいの外国の方のTEL番号はあったかと思います。でもお金になりませんでした。笑
結論から言うとここで学んだことはカリスマ性が如何に大切かってことですね。自ら自分を売っていく。アピールする。いわゆるアテンションプリーズってやつです。仕事もそうですがなんでも自分から動かないとね。特に歩合給の様な営業タイプだとかなり重要なスキルになります。
俺様ワールドを作ることが大切なんですね。もちろんアンチも増えるわけですが、方向性を見失分ければファンが増えていくはずです。行動力でもないし、積極性でもない、でもすごく似ているんですよ。
ホストでの経験はいい思い出です。運よくすぐに就職できまして、著者は神奈川に引っ越すことになったのです。そこでまたまた仕事辛い病発生、当時27歳。
うつ病、ADHD、失恋、借金350万どん底な大後悔時代
頭の中で僕人とは違うと完全に自覚したのはこのころでした。仕事が辛すぎでうつ病を発症してしまい当時結婚を予定していた彼女に振られ人生最悪の時期になりました。その頃人に雇われるのがどんなに辛いかを確信し起業を試みるが見事失敗。
そもそもそんな理由で何の根拠もなく起業しようとした僕もバカだったんですが、当時の上司がとにかくパワハラ野郎で。あとその仕事向いてなかったんだと思います。
立体的な感覚が全くなかった著者はくその役にも立てませんでした( ;∀;)、。。
病院へ行き診断書を書いてもらうとうつ病とADHD、、ん?「ADHD」ちょっと待って!うわこれ障害じゃないですが、頭が思った通り動かない障害、整理整頓できない障害、すぐだるくなる障害、ナルコレプシー睡眠障害などを併発しやすい障害。
お医者様に睡眠薬のマイスリーと精神安定剤のレクサプロ、ADHDのストラテラを処方され副作用に悩まされながら生き地獄を経験しました。
は~~国語ができない理由の一因か。ADHDの詳しい説明をしませんが、ざっくり説明をすると子供って例えば家から帰ってきたときに手を洗うのを忘れるとか、学校から帰宅した時にきっちりとハンガーに制服をかけてないとか、ランドセルの中にくしゃくしゃの紙がつまってたりとか、それが大人になっても正常な人より緩和しないのです。症状は人により大きく違います。
僕の場合軽い症状だったのでストラテラが効いたみたいで現在の職場3年目です。<祝い>8時間拘束平気です。たまに早く帰りたい病が来ますが大丈夫です。今の職場には非常に感謝しております。
有給休暇取得率100%を誇り、有給の申請は1日前からOK、理由なんて個人の自由だから書く必要もなし、残業もなし、人間関係良好、仕事で疲れてる人いないので仕事帰りにはアルバイトで体を癒す人が多くいます。
家のローンも組みやすいし労働組合もしっかりしてる、そんな素敵な職場なのです。優秀な女性管理職が多いのも誇りです。
話はADHDに戻りますが、ADHDの僕でも学生の頃は偏差値30から60にすることができました。5年かけて、、、、笑。
僕みたいな人って理解力はないんですけど記憶力は人より優れてたりするんですよね。なのでまずは記憶を定着させるルーティンを人一倍したほうがいいです。記憶向上のサプリなんかを取るといいです。実体験として効果ありましたから。僕らADHDの人って飽きっぽいから人生で迷走する部分があるかと思います。
でも他の大人たちが持ってない物がある。子供の視点で物事を考えられること。よく母親が子供にりつけたりしてる光景見てるけど子供にだって言いたいことあるのですよ。ADHDの人に贈ることは気遣いは感覚で学ぶのではなく反復で学べです。そんな上等な感覚僕たちにはございませんが、言われれば理解できます。反省点をしっかりと繰り返し復習しましょう。
必然的に怒られる回数激減します。転職するたびに怒られる回数減りましたから。後はネットで回答を探す。今の妻と喧嘩することがあるのですが意見の違いから発生します。この間は服のことで喧嘩しました。
僕は普段着は外出しても家の中でも同じです。よってパジャマと普段着の2種類存在すると思ってたのですが、彼女は外出用の服、家の服、そしてパジャマ3種類がスタンダードだというのです。
え?スーツ、家服、パジャマの3種類なら分かるけど、それはちょっと違うんじゃないと思った。
なんですけどそういう揉め事ってネットに既に書き込んでる方いらっしゃいますし、回答してくださってる方も居ますしね。結局妻の意見の回答の方が多かったのでここは民主主義に乗っ取り多数決の方が正しいという結論にしまして反省した次第でございます。
特に妻はロシア人なので気性が激しく怖い時があります。恐るべし離婚率85%の国。そんな妻と出会ったのは僕がうつ病で苦しんでる時でわざわざ遠くから毎週足を運んでくれて看病してくれました。怒ると怖いけどめちゃ可愛い妻なんです。
今は日本で一番幸せな社畜
最近借金も減ってきたし、今までトラウマだった働くことの難しさそしてストレスから解放されている自分がとても恵まれていると実感しています。僕が感じたストレスを感じる方々もいると思います。仕事は一生を左右する物なので就職は慎重に考えるべきですね。
後、転職エージェントは絶対複数登録したほうがいいです。カウンセラーがまじで使えない場合もありますから。面接の練習はしっかりしたほうがいいですね。特に僕のようなADHDとかだとうまく面接で発言できないことがありますから。再三ですがルーティンが大切です。詳しいことは他の記事で書きたいと思います。
今は国際結婚して、いい上司に恵まれ、人生の運気が良くなってきています。過去のつらい経験、人それぞれオリジナリティーがあると思います。今回は僕の話になってしまいましたが、ご閲覧ありがとうございます。
ざっくりになりましたが僕の価値観をテーマにいろんなことをブログで綴っていけたらなあと思います。
以上☆彡 ありがとうございました。